創業から数年が経ち、会社が10名規模になってくると、自分以外の役員を置く必要性を感じ始める経営者も多いでしょう。資金調達や組織体制の強化を見据えて、信頼できる社員を役員に登用するのは会社の成長の中で当然の流れです。ただし、従業員を役員に就任させるといっても単に肩書きを変えるだけでは済みません。報酬体系・退職金・保険・登記など、整理しておくべき論点が多岐にわたります。本記事では、特に重要な「報酬・金銭面」の整理ポイントを中心に解説します。従業員から役員に就任することで変わること従業員と役員では、会社との法的な関係がまったく異なります。従業員は会社と「雇用契約」を結び、労働の対価として給与を受け取ります。一方、役員は会社と「委任契約」を結び、職務執行の対価として役員報酬を受け取ります。この違いが、以下のような実務上の違いにつながります。労働時間の管理対象外になる役員は労働基準法上の「労働者」ではないため、労働時間の規制が原則として適用されません。残業代の計算や休日出勤の割増賃金や有給休暇なども対象外です。ただし、使用人兼務役員(後述)の場合は一部異なります。労災保険・雇用保険が原則適用外になる雇用保険・労災保険(いわゆる「労働保険」)は労働者を対象とした制度です。役員に就任すると、原則としてこれらの保険から外れます。従業員として加入していた雇用保険は、役員就任のタイミングで資格喪失の手続きが必要になります。なお、「使用人兼務役員」として、引き続き従業員としての業務も担う場合には、労働保険が適用されるケースもあります。実態に応じて判断することになります。健康保険・厚生年金は継続加入社会保険(健康保険・厚生年金)については、役員報酬を受け取る役員も加入対象となります。同じ会社で従業員から役員に就任する場合は、継続して加入することになります。ただし、報酬額が変わるため、標準報酬月額の見直しが必要です。自社だけで対応が難しい場合は社会保険労務士などの専門家への相談も有効です。社員から役員に登用する際の論点の一つが給与・報酬創業期から二桁規模へと成長した企業では、代表者一人が意思決定を担う体制に限界が生じ始めます。資金調達において投資家から役員体制の充実を求められるケースや、経営の透明性を高めるために複数役員体制を整備したいというニーズも増えています。社員からの役員登用に際しては、組織設計・株式・税務・登記など検討すべき論点が多くありますが、その中でも本人との合意形成において特に重要になるのが「報酬・給与面の整理」です。役員報酬と従業員給与の違い従業員給与は毎月の業績や評価に応じて変更しやすい一方、役員報酬は税務上の理由から原則として事業年度中は変更できません。これは、役員報酬を損金(経費)として認めるための要件が法人税法で定められているためです。法人税法上、損金に算入できる役員報酬は以下の3類型に限られます。(1)定期同額給与 毎月一定額を支給するもっとも一般的な形態。事業年度を通じて支給額が同額であることが求められ、原則として事業年度開始後3か月以内の改定のみが認められます。(2)事前確定届出給与 支給額・時期をあらかじめ定め、税務署に届け出たうえで支給するもの。非常勤役員への報酬や、賞与的な給与に活用されます。(3)業績連動給与 会社の業績指標に連動した報酬。上場企業を中心に活用される類型で、一定の要件を満たす必要があります。スタートアップで初めて社員を役員に登用する場合は、(1)定期同額給与か(2)事前確定届出給与を組み合わせるケースが多いでしょう。月次の固定報酬に加え、業績に応じた賞与を事前確定届出給与として設計するパターンが現実的です。役員就任時に報酬・金銭面でクリアにしておくべきこと報酬体系の変化に伴い、就任前に当事者と明確に合意しておくべき事項がいくつかあります。① 退職金の扱い従業員から役員に就任するタイミングで、従業員としての退職金を支給することが可能です。雇用関係が一旦終了し、委任契約に切り替わるという実態に即した処理で、税務上も「退職所得」として取り扱うことができます(一般に退職所得は給与所得よりも税負担が有利です)。退職金を支給するかどうかは会社の規程によりますが、役員就任を機に「みなし退職」として処理するかどうかを事前に整理しておきましょう。退職金規程がある場合はその内容を確認し、規程がない場合でも支給する場合は適切な根拠を整えることが必要です。なお、退職金を支給せずに役員就任後も給与の継続として処理してしまうと、退職所得としての優遇税制が受けられなくなるため注意が必要です。② 有給休暇の残日数の取り扱い役員に就任すると労働基準法の適用対象外となるため、従業員として積み上げてきた未消化の有給休暇は原則として消滅します。就任前に消化できるよう計画を立てることが基本的な対応です。未消化分の買い取りについては、法律上の義務はありませんが、会社と本人との合意があれば任意に買い取ることは可能です。就任のタイミングによっては十分な消化が難しいケースもあるため、会社として買い取りに応じるかどうかをあらかじめ方針として決めておき、本人との間で合意内容を書面に残しておくとトラブル防止につながります。いずれの対応を選ぶにせよ、就任前に取り扱いを明確にしておくことが重要です。③ 賞与(インセンティブ)の設計従業員への賞与は業績や査定に応じて柔軟に支給できますが、役員への賞与は前述の「事前確定届出給与」として、支給額・時期を事前に税務署に届け出る必要があります。届け出た内容と異なる金額を支給した場合、損金に算入できなくなるリスクがあるため、支給設計は慎重に行う必要があります。従業員から役員に就任する際に必要な手続き実際の就任にあたっては、以下の手続きを漏れなく進める必要があります。株主総会での選任決議と議事録の作成役員は株主総会の決議によって選任されます。取締役の就任を決議した株主総会議事録を作成・保管することが必要です。また、選任された役員には就任承諾書への署名も求められます。役員変更登記の申請(就任後2週間以内)役員の変更は、就任から2週間以内に法務局へ役員変更登記を申請する必要があります。申請が遅延すると過料(罰金)の対象となる場合があるため、速やかに手続きを進めましょう。雇用保険の資格喪失届の提出雇用保険は原則として役員に適用されないため、役員就任日から10日以内にハローワークへ「雇用保険被保険者資格喪失届」を提出する必要があります。社会保険の報酬変更届役員報酬の額が従業員時の給与と異なる場合は、標準報酬月額の変更が生じるため、年金事務所への届出が必要になるケースがあります。GVA 法人登記で役員変更登記の必要書類を自分で作成従業員から役員就任が発生するタイミングは事業の成長期でもあり、役員変更だけでなく本店移転や増資(資金調達)などさまざまな施策が同時並行で進行することも多いです。一つ一つの手続きをできるだけ省力化したいものです。GVA 法人登記なら、変更したい情報を入力することで登記申請書や議事録、その他の添付書類などの必要書類を作成し自分で準備できます。郵送申請や登記簿謄本の取得、収入印紙の購入をサポートするオプションも充実しています。手間や時間、費用のバランスを取りながら確実に登記申請したい方におすすめのサービスです。まとめ従業員から役員への就任は、単なる肩書の変更ではなく、会社との契約関係・適用される法律・報酬体系のすべてが切り替わる大きな変化です。特に退職金・有給休暇・賞与の取り扱いは、本人が不満を抱えやすいポイントでもあるため、事前の丁寧な説明と合意が不可欠です。また、役員報酬は税務上の制約が強く、タイミングや設計を誤ると法人税の損金算入が認められなくなるリスクもあります。不安な点は税理士・弁護士・社労士などの専門家にも相談しながら、計画的に進めることをお勧めします。